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2020年7月25日 (土)

祝・アイドルマスター15周年。

ガミPと誕生日が一週間ほどしか違わない自分が、もう一回振り返りを記してみます。
アケマスのオンライン終了の折や、10周年に際してもいろいろ書いたけど、ここでもう一回、おさらいをしてみようかと思ったり。
まあ、ワイン飲んで酔っ払った勢いもあるけどな。

◎なぜアイマスPになったのか、そのルーツは……

この辺を掘り始めると、話は平成元年の4月からになってしまうね。
そう、まさに自分がドット屋を始めてゲーム業界の片隅に籍を置くようになった、その時からになっちゃう。
当時はまだ今でいう形のギャルゲーは存在せず、「夢幻戦士ヴァリス」のようなゲームを指して、ギャルゲーという用語がやっと誕生していたくらいの時期だった。
そんな中で自分は最初にSTGに振り分けられ、グロい虫っぽい敵なんかを描く傍ら、サウンドテストモードに少女の絵を紛れ込ますなどをやっていたわけで。

まあ、そんなこんなやってる中でいろんな出会いがあってですね、当時から既にレジェンド視されていた大御所とか、今なお活躍されている先達とかにお会いできて、貴重な薫陶を受ける機会に恵まれていたことは確かです。

その中でも特に影響が大きかったのが、イースⅠ・Ⅱや天外魔境Ⅱで知られる、岩崎啓眞氏でして。
一緒のチームになる機会はなかったんですけど、仕事の合間の食事などをご一緒させていただいて、いろんな話を聞かせていただくことができました。
実際、氏が「すげーからとにかくやってみて」と言って持ち込んできた評価版の「マジカルチェイス」、実際やらせていただいてすごく面白くて、それが後にプレミアついて中古相場が高騰したのは、通の方ならご存じのこととは思います。
以降、自分が業界を離れて以降も、岩崎氏が褒めているゲームは大体外れがない、そういう認識を持つようになりました。

それから数年が経過し、自分が貿易関係の会社に再就職して1年ほど経った頃の事です。
そんな岩崎氏が手放しで褒めているゲーム「ときめきメモリアル」が、気にならないはずはなかったわけで。
初版を中古で手に入れてやってみて、ホントにハマって、当時のNiftyserveに存在したキャラファンクラブの8つに入って「無節操」呼ばわりされたのは、まだ二十台だったが故の若気の至りってことで許していただければと。
で、その時所属していた中の一つが、館林美晴FCでした。
そこで世話人をしていた方が"Shine"氏、マジモンで当時ときメモのPS移植以降の追加シナリオを担当していた方でした。

そのShine氏が良いと言っていたゲームに、「ヒロインドリーム」がありました。
PSの育成シミュレーションで、ディレクターとして担当アイドルを「ヒロイン」に導くという、ややアイマスに近いコンセプトのゲームです。
ヒロインドリームはプレイヤーネームに6文字の制限があり、そこで命名したディレクターの名前が「かざまかずや」、今に至るも自分の主たるプロデューサーネームになります。

さて、件のときメモは3に至って3Dを採用するも、思いっきりコケタことはご存じの向きも多いことでしょう。
自分も3DCGには早くから興味を持ち、ドット屋時代から少しずつ手を出してはいて、2002年のCGアニメコンテストで初心者部門に入選する程度には、嗜んでおりました。
当時追い求めていたテーマが、まさにどこまで3DCGで二次元的美少女を表現できるかで、故にときメモ3の出来には、大いなる不満を持っておりました。
況してや、ときメモ3のディレクターがどうもかつての同僚らしいと思われ、余計に「何やってんのよ」という思いを抱いたわけで。

それから少しして、これいいじゃんって3D美少女に出会います。
それがナムコの「ゆめりあ」で、フィギュア的なアプローチの造形に、その手があったかとひざを打ったものです。
そこからほどなくして、ナムコがアーケードで「アイドルゲーム(仮)」を用意していることを知ります。
期待しないわけがないでしょう。
その期待が確信に至ったのは、ときメモ2当時にWeb上に開設されていた「ひびきの高校」で知り合った「雷神竜氷輝」氏がロケテストに参加し、絶賛したことでした。

いざ実際の稼働日前後にはには何かと忙しく、すぐにはプレイできなかったんですけど、始めたらもうすぐにハマりまして、アケマスのためにガラケー機種変しましたともさ。
それからは週5~6の頻度でゲーセンに行って、まあどうにかVer.1.3の恩恵でサブカードですけど「アイドルマスター」の称号を得ることができました。

◎律子Pとしての風間一矢P

アケマスで最初に担当したのは、秋月律子です。
これはときメモで最初に如月美緒狙いでプレイしたのと、まったく同じ理由。
「まずは眼鏡より始めよ」「緑(髪)こそ正義」というポリシーによるものでした。
しかしそこはVer.1.0の高難易度に加え、事前情報ゼロでの手探りプレイでもあり、なすすべもなくFランク失敗エンドになって、律子に「顔も見たくない」と罵られて終わったわけです。
このエンドはVer.1.1以降では見られないものらしいんですが、しかし逆にこの体験が、自分のゲーマー魂に火を点けてくれたんです。
いつの日か、必ず律子をドームに連れて行くというモチベーションになりました。
その目標は半年ほど後に実現し、その時点で、自分と律子の物語には一区切りついているとの想いが強くもあります。
特にアイマス2で律子がプロデュース対象から外れたことが、その想いをより強くしたともいえるかもしれません。
だからアイマス2以降において、自分の765ASにおける担当は、響だったりします。

アイマスのライブに行き始めたのは4th福岡からで、奇しくもゆりしー雪歩最後のステージでした。
それから5年後の9th大阪であずみん雪歩が初めて「Kosmos, Cosmos」をステージで歌った現場に居合わせられたのは、まあまあ貴重な体験だったかなと思ったりも。

◎シンデレラの位置づけ

シンデレラのスタート当初は、まあガラケーでのちょうどいい暇つぶし以上のものではなかったですよね。
自分の脳内的には、自分と律子が新たに立ち上げたプロダクション、そこの所属がシンデレラの登場人物みたいな感覚で。
当初明確な担当はできず、ぼんやりと眼鏡担当を名乗ってはいたんですが、しばらくは北川真尋と浅野風香の二人ぐらいがメインみたいな感じでした。
でも後から出てきた八神マキノに一目ぼれして、それが今に至るメイン担当となるわけです。
シンデレラに対して明確に意識が変わったのは、やっぱ楽曲ができ始めてからになるんですかねえ。
MOIW2014や10thの現場で見ることができた、ステージに上がったシンデレラの演者たちは、間違いなく765やミリオンのキャストに劣らない、立派なアイドルでした。
シンデレラ単独の現場に行けたのは、2015年夏フェスの大阪だけなんですけど、また機会があれば行きたいです。
できうるならば、そこで自分の担当が歌う姿が見られたらいいんですけど。

◎ミリオンにおける立ち位置

シンデレラに対して前述のような意識であったが故に、アニメ版の延長線上と思われたミリオンには、正直すっとは乗れないところがありました。
それでも、キャラ的に琴線に触れてくる娘が二人いたので、完全に離れずには済んだ感があります。
まず一人目は佐竹美奈子、ポニテで中華料理屋の娘で格ゲー好き。
自分は以前、3DCGの対決企画に参加していましたが、その中のお題の一つ「格ゲーキャラ対決女性編」で、ポニテの中華料理屋の娘を作っていたんです。

まあ、見た目はたいして似てもいないんですけど、自分の好きな要素が詰まっていたことには間違いなく。

もう一人は福田のり子、プロレス好きでバイク乗りってのは、まさに自分と同じ趣味なので、これはもう一緒に遊びたい筆頭ですわね。

でもこれは担当というよりは、ファンの立ち位置なのかな。
そういう意味で、シアターにいるPと自分の間には、これまでと違って少し距離がある感覚は否めないところがあります。

◎シャニマスとの向き合い方

シャニに関しては、多少アケマスにシステムが似ていることで、楽しいゲームとして受容しています。
ユニット的には、アンティーカとストレイライトが好みですね。
昨年のバンナムフェスのステージを現場で見ましたが、素晴らしいパフォーマンスでした。
ゲーム自体もまだまだ発展途上だし、もうしばらくはこのまま遊んでいられそうです。

◎総括

ともあれ、765の律子担当だった風間一矢Pとしての活動はもう終わっているけど、シンデレラにおいての活動を継続中。
ぱりだかのりひこ(ぱりりん)Pとしては、時によってミリオンシアターにいたり、283プロにいたりってところです。

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