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2010年1月26日 (火)

パッションレッド問題について

正直言って、この件について何かを書くべきかどうかについては、散々迷った。
何故ならば、これは当事者でなければ知り得ないことが多すぎて、表面的な情報をなぞったところで、それは単なる「野次馬のさえずり」……そう、つぶやきですらないノイズにしかなりえないからだ。
それでも敢えて書こうという気になったのは、双方の言い分の何れにも理と非が存在するからだ。

まずはパッションレッド残留組の、高橋奈苗選手と夏樹☆たいよう選手のほう。
奈苗選手や夏樹選手の主張していることは、極めて「女子プロレスの常識」に沿ったものだ。
それは当然に分かるし、かつての全女関係者もしくはそれに近しい人物にとっては、当然に正しいと認識されるものであろう。

じゃあ、その「女子プロレスの常識」ってなんだって話。

それはかつて全日本女子プロレスが、その栄華の中で営々と築き上げてきた、業界の「デファクト・スタンダード」であると思う。
それはあくまで全女が先行者であったが故にデファクト化したものであって、決してそれが正しいとか、優れているという意味ではないことに注意してほしい。
もちろん、クラッシュ時代の全女はすごかった、それはどこの誰にも否定できないのだ。
だが、それ以降の全女はその遺産に胡坐を書いた結果、一事の栄華はつかんだものの、やがては澱み、腐敗し、自壊して果てた。
その歴史もまた、どこの誰にも否定できない事実だろう。
もはや腐った看板には、断じて守る価値などありはしないのだ。

そもそも、全女が築き上げた「女子プロレス」というものは、実はいわゆる「プロレス」とは似て非なる別のものであったように思う。
さまざまなインタビューや文献を見るに、松永一族は敢えて「男子のプロレスとは違うもの」を意識的に作ったようである。

一方で、後発のジャパン女子プロレスは男子レスラーをコーチに招き、いわゆる「プロレス」を女性がやる団体にした。
男女混合のFMWやIWAも男子レスラーがプロレスの基礎を指導したわけだから、当然に全女とは「流儀」が違う。
例えるなら、伝統派寸止め空手とフルコンタクト・関節ありの新空手の違い程度には違うと言ってもよい。
それが他団体も全女OBを受け入れたりする中で、全女流を大幅に取り込む結果になった。
そうした経緯の中で、いろんなものが複雑に絡み合った、今の「女子プロレスのカタチ」が出来上がったように思う。
だがそれはカタチとしては歪であり、決して好ましいものではないようにも思えるのだ。

もちろん、かつて全女やその流れを汲む団体の中でも、男子のプロレスを積極的に取り入れた選手は沢山いる。
そのパイオニアにして最高峰が長与千種であり、現役ではその一番弟子の里村明衣子ということにもなろう。
言うまでもなく、華名選手もその系譜にある一人と言ってよい。
だが、単に男子のスタイルや技を真似るということだけでは、それ自体にたいした価値はない。
なぜそうしなければいけないのか、その必要があるのかという点まで考えている選手は、数えるほどしかいなかった。
そもそも長与千種という人物は、日本のプロレス界全体でも稀有と言っていいレベルの、「プロレス頭」の持ち主だ。
長与が男子のスタイルを持ち込んだのは、単に彼女が当時の新日本プロレスを好きだったというだけでなく、「異質なもの同士の激突が熱を生む」という原理原則を、皮膚感覚で知っていたからに他ならないからだと思う。
それがクラッシュ時代のあの熱を生み、熱狂的ともいえる女子プロレス全盛期を生んだ。
対抗戦時代の熱も、同様に全女の生んだ独特の女子プロレスと、他団体の持つ男子と同じ流儀のプロレスという、異質なもの同士の激突が生んだものであった。
だがそれによって、全女流の女子プロレスと他団体のプロレスは摩擦によって磨り減り、あるいは癒着し、混合されてしまったのだ。
そうなれば全体のエントロピーは低下し、熱は下がっていってしまう。
でも何故そうなってしまったのか、その根源に行き着いた業界関係者は少なかったのだろう。
それが昨今の、女子プロレス低迷の根源のような気がしているのだ。

ここで華名選手の存在なのだが、確かに今の低迷しきった冷たいカオスの中では、異彩を放つ存在だ。
「熱を生む異質な存在」足りえる可能性を秘めている、数少ない人材だろう。
だが、まだ足りない。
確かに悪しき因習の打破は必要であり、それが急務であることも間違いではない。
しかし、プロレスの根源である部分、そこへの理解がまだ足りないようにも思う。
確かに格闘技術は必要であり、それを高いレベルで保持することはプロレスラーにとって必須の前提事項だ。
だがその上で、いかに観客をヒートさせ、満足させて帰すかということが最も重要なことである。
プロレスは総合格闘技ではないから、単に勝敗を競えば事足りる種類の競技ではない。
いかに勝つか、あるいはいかに負けるかということで、観客の期待に応え、それを上回り、かついい意味で裏切らなければいけないのだ。
そういう試合を成立させる前提として、対戦相手の技量やスタイル、考え方などを十分に理解しておく必要がある。
そうでなければ、相手に怪我をさせず、自分も怪我をすることなく、そのぎりぎりのラインでの試合は組み立てられないはずだ。
今の段階では、まだ華名にはその部分に不足があるような気がする。
相手を頭から最後まで否定するのは、スマートなやり方じゃない。
途中までは適当に持ち上げてからズドンと落としたほうが、もっと衝撃は大きくなるのである。
今は自分の技量を高めるだけで精一杯なのだろうし、そこまで余裕を持って試合に望める段階ではないのかもしれない。
でも、プロレスの一番根本の部分に思い至ることができれば、すぐに余裕が持てると思うのだ。

だって、プロレスってやってる本人が一番楽しいスポーツなんだから。

プロレスを一番楽しんでいるやつが、客を一番楽しませられるのだ。
客を楽しませることのできる選手は、当然に会場で支持されリピーターを生む。
華名選手、もっとプロレスそのものを楽しみなさい!
それがすべての循環を、良いほうに向けてくれるはずだから。

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