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2007年10月

2007年10月22日 (月)

西村修の電撃移籍に思う

無我ワールド・プロレスリングの看板選手、西村修が新人の征矢学を伴って全日本プロレスに電撃移籍したことは、目ざといプロレスファンの方なら皆さんご存知ではないかと思う。
まず驚いたことは、これが単に無我を離脱して全日に上がるというだけでなく、入団であること。
第二に、ビジネス面では筋を通す男であると思われる武藤が、藤波に無断で行われたこの行動を、あっさり容認していることだ。

西村によれば、離脱の理由は無我の興行数ががあまりに少ないことと、自分の目指す「無我スタイル」を体現するには、全日のほうがより相応しいと判断したこと、としている。
そして無断離脱であっても、契約上の問題は存在しない、と明言していることだ。

まず、最近の無我ワールドの動向だが、確かに興行数が月に1~2試合と激減している。
この原因は単純に地方をはじめ観客動員が少なすぎて、興行を打つだけ赤字が出る状態にあるであろうことは、想像に難くない。
テコ入れとして大物フリー選手を呼んだり、他団体選手を上げたりしているようだが、支払うギャラの分が観客動員に繋がっているかは疑問だ。
この点は確かに西村の主張に一致するが、それだけが原因でないことは明らかだ。

しかし、だ。
単に試合数を稼ぎたいだけであれば、西村なら無我所属のままでも全日だろうが、NOAHだろうが、自由に上がれるはずである。
現にギャラだけなら日本で一番多いと思われる、ハッスルにスポット参戦していたではないか。
しかし、西村のアバタールである「ニシム・ラマ」は「ムガール帝国が炎上するヴィジョンが見えた」として、ハッスル撤退を表明している。
金の問題だけであるならば、それはありえない選択肢だ。
新人の征矢にしても、西村が帯同して行けば、試合させることを拒否する団体は、ほとんどないだろう。
つまりは、無我ワールド所属でいたくないことのほうが、問題の本質ではないだろうか。
しかも、そこでフリーとなるのではなく全日入団を選ぶということは、無我ワールドと完全に絶縁したかった、ということなのだ。

思い当たる点があるとすれば、高木功選手入団の一件がある。
高木選手といえば、かつて「嵐」のリングネームで全日本に所属し、大麻使用の疑いで逮捕されたことにより解雇、永久追放された人物である。
常識論から言えば、藤波が彼を擁護し、入団させることは非常識であり、あってはならないことのはずである。
西村は高木の入団に反対であり、入団許可後も嫌悪感を露にしていたと聞いている。
聞くところによれば、高木選手は有力なプロモーターと親しく、チケットを捌く能力が大きいという。
営業的に苦戦している無我ワールドとしては、リスクを背負っても欲しい人材であるということか。
あるいは、そんな危険人物に頼らねばならないほど苦しい、ということなのだろう。
西村から見れば、高木を追放した全日本の所属になれば、高木とはもう金輪際係わりを持たずにすむだろう、という判断が働いたとも考えられる。

もう一点。
言うまでもないことだが、無我ワールドは西村修をはじめとする新日離脱選手たちと、田中秀和リングアナウンサーから始まったものだ。
ところが、だ。
田中リングアナウンサーは、最近自ら興行会社を設立してプロモーターに転身している。
その際、「私は最初からフリーです」と公言しているのだ。
彼の無我ワールド離脱も、この高木の一件と絡んでいると考えるのは、うがち過ぎだろうか?
そして「最初からフリー」だったということは、田中リングアナと無我ワールドの間には、最初から何らの契約も存在しなかった、という意味なのだ。

要するに、だ。
西村修と無我ワールドの間にも、何らの書面的な契約が存在していなかったのだ。
だから、「無断離脱であっても契約上の問題はない」と断言できるのである。
であるならば、契約不履行や引き抜きで西村や全日本が訴えられるリスクは、最初から存在しない。
征矢を連れて行ったのは、こんないい加減な団体に有望な新人を置いてはいけないという、西村の親心なのか。
しかも、「無我」の商標は西村が握っているとも言われる。
となれば、少なくとも「無我ワールド・プロレスリング」の看板は、早晩下ろさねばならなくなるだろう。

※例によって、これは情報の合成による根拠のない妄想です。

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