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2006年1月

2006年1月30日 (月)

さらばクロネコ

新日本プロレスの「クロネコ」ことブラック・キャット(本名:ビクトル・マヌエル・マル)レフェリー・元選手が急性心不全で急逝した。まだ50代、最近多すぎるプロレス関係者の若すぎる死である。
氏は80年代より、新日の前座戦線で若手ジュニアヘビー級選手の壁として活躍し、2年前に選手としての現役を引退してからも、レフェリーとしてついこの間まで元気な姿を見せていた。主にメキシコ人選手担当の外人係としても重責を担っていて、メキシコCMLLとの業務提携においても、その要的な存在であった。新日本プロレスにとって彼を失ったことは、ある意味主力選手の離脱よりもダメージが大きいかもしれない。若い選手や他のレフェリーにとって、まだまだ学ぶべきことの多かったはずの偉大な先輩は、もう何も教えてはくれないのだから。
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驚いたという点では、新日本至上主義者として有名だった、某リングアナの離脱も驚きだが、彼がプライドを持っていた新日本プロレスはもうどこにも存在しない、という意味なのかもしれない。最早「業界の盟主」の呼称は、完全に過去のものになった、ということなのであろう。

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2006年1月23日 (月)

マッチメイクの妙

1.22NOAH武道館大会は、良い興行だった。
後半4試合が全てメイン級の顔ぶれで、尚且つ一つも同じ味の試合がない、というのは素晴らしいと思う。

メインのヘビー級タイトルマッチは、シンプルな技のぶつけ合いでやや単調にも感じたが、それは前のジュニアのタイトルマッチと味を変えるため。
あくまでジャンピングニーにこだわった秋山は、亡き鶴田から受け取ったものを大事にしていた。

セミの試合は、ある意味10年前の四天王プロレスの進化形。
そこに10年前の、三沢と川田の幻影があった。
彼らの試合がこれからどこまで進化するのか、興味は尽きない。

曙という素材は、やはりエンタメ系プロレスにしか合わない。
新日本プロレスも立ち位置が中途半端でダメ、上手く使いこなせない。
K-1あるいは総合格闘技では客寄せと、セールしたい選手を持ち上げるための負け役以上の存在意義を持ちえない。
全日本でもそうだったが、曙はエンタメにおいてその真価を発揮する。
力皇を背負った曙の350キロ・フライング・ソーセージ、その説得力は有無を言わさない。

残念ながら、健介ファミリーと三沢の絡みにムシキングが入ったのは、マッチメーク上仕方ないのだろうが、いま一つであった。
組み合わせのミスマッチが影響したか、珍しく中嶋クンがキャリアの浅さを見せてしまっていたように思う。
健介が徹底してムシキング・テリーと絡むのを拒否していたが、ギミックにしても少々お粗末だ。
もう少しひねり方があったのではないか?とは思う。

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それと比べると、某「業界の盟主」を自称する団体のドーム興行は……。
マッチメークの何たるかを、一から勉強しなおして欲しいものだ。

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